植物の価格と価値について

ここ数年、ありがたいことに即売会などのイベントで植物を販売する機会をいただいてきました。そのなかで、常に悩まされてきたのが「値付け」です。

はじめのうちは、インターネットや実際に足を運んだイベントで相場感を確認し、そこから大きく外れないよう価格を決めていました。
主な判断基準は流通量、需要、そして株のサイズでした。
多く流通していれば安くなり、需要が高ければ価格は上がる。サイズが大きければ、その分高値がつく。
ごく自然で、合理的な市場原理です。

栽培には時間も場所も労力も必要ですし、栽培や入手の難易度もあります。その対価が価格として表れるのは当然のことです。
私自身も、その枠組みのなかで値付けを行ってきました。

ただ、この一年ほどで、その考え方を大きく見直すきっかけがありました。
それは、某インターネットオークションなどを賑わせている、中国からやってきた大量の希少種たちの存在です。

どういった経路を経て日本に流通しているのかは分かりません。
しかし、希少であるはずの植物が大量に出品され、驚くほどの価格で次々と落札されていく光景を目にするようになりました。
そこでは、一株一株が持つはずの「背景」や「文脈」が語られることはなく、ただ「商品」として消費されていきます。
その植物がもつ「背景」や「文脈」は、価格の背後から完全に抜け落ちてしまっているようです。

ハオルチアやアガベの素晴らしい交配種や選抜種が、メリクロン苗として大量に流通したことは記憶に新しいですが、これらは需要を大きく超える苗を無責任に流通させたことで、「価格」だけでなく、「価値」すらも崩壊させてしまいました。

この問題は他人事ではありません。
私自身もまた、植物を販売することがあるからです。
イベントのたびに、「この価格は高すぎないだろうか」「安くしすぎてはいないだろうか」と迷います。
価格を下げれば売れやすくなる――そのことは、十分に理解しています。

それでもなお、安易な値下げを選びたくないのは、それが、これまで自分が植物と向き合ってきた姿勢を否定することになると感じるからです。
価格に、ストーリーや背景、そして自分なりの思想をのせることで、植物を安易に消費される存在にしたくない。
それは、購入者に対する姿勢であると同時に、自分自身への態度でもあります。

私は、趣味家として植物を扱い、販売しますが、それはビジネスではありません。
だからこそ、値付けの基準は「売れるかどうか」ではなく、
その植物を世に出すことに対する「責任」であるべきだと考えています。

植物の価格に正解はありません。
しかし、価格を見るとき、その背後にある価値まで想像することはできるはずです。
このコラムが、植物の値段を目にしたとき、
「これはどんな植物なのだろう」「どんな人の手を経てきたのだろう」と、少し立ち止まって考えるきっかけになれば幸いです。


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